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第39回 「アル=マームーンの穴 その4」 [大ピラミッド・盗掘坑]

【盗掘の時期】

大ピラミッドは、いったいいつ盗掘され、いつ内部の蹂躙起きたのでしょうか。

これから、少し話が脱線したように思われるかもしれませんが、

「いつ」

を推理するためのものです。




考える手がかりのひとつは、

周囲にあるマスタバ群です。

大ピラミッドの東側には王族の、西側には官僚である貴族のマスタバ墳が並びますが、

それらは第4から第6王朝時代のものです。

つまり、初期にギザが高貴な身分の死者の埋葬地として機能したのは、

第6王朝までのことだったと言えます。



ギザの大スフィンクスの後ろ、

カフラー王のピラミッド参道跡の脇には、

「オシリス・シャフト」の名で知られる深い穴が存在します。

これは、非常に謎めいた施設で三層構造をもち、

最深部は地下30メートル以上にもなります。



第一層には、

ピラミッド時代への回顧的ブームが起きた第26王朝時代の石棺がありますが、

最深部の石棺は、第6王朝の特徴を備えています。

この施設は、ギザのピラミッド群ができた後、

「オシリス神の象徴墓(オシレイオン)」として造営された可能性があるといいます。

それは、地下の水中に棺があることなどからして、

デンデラ(アビドスの南)にあるオシリス神の象徴墓に共通した特徴を持っているのです。

デンデラのオシレイオンを造営したのは、

セティ1世です。

セティ1世は、第19王朝のファラオですから、

もし、オシリス・シャフトがオシレイオンであったとすれば、

デンデラがギザのオシリス・シャフトを模倣した可能性もあります。




しかし、まったく違った興味深い説もあります。それは、







「クフ王の王墓説」


です。




ギリシアの歴史家ヘロドトスが、

史上初の歴史書『ヒストリアエ(歴史)』で、

クフ王に関する著述をした場面があります。

ヘロドトスは、紀元前5世紀の人間であるので、

『ヒストリアエ』は、

大ピラミッドが建造されてからおよそ2000年の歳月が流れた時点での著述、

ということになります。



その内容の信憑性には、疑わしい点が多々ありますが、

彼が実際にエジプトを訪れて見たとされる記述が残っています。



「ケオプス(クフ王のこと)のピラミッドでは、

ナイルの水が特に作られた水路を通じて内部に流れ込んで部屋の周囲をめぐっているので、

地下室はさながら孤島の如き観を呈しているが、

この中にケオプスの遺体が横たわっていると伝えられる。」
 

(ヘロドトス『歴史』第二巻127節)




この記述は、オシリス・シャフトを連想させる記述として知られています。

しかも、この記述は、クフ王について触れた箇所ではなく、

カフラー王(記述の中ではケフレン王)を中心とした記述の中にあります。




もし、ヘロドトスが見たものがオシリス・シャフトだったとしたら、

紀元前5世紀において、

カフラー王参道脇のオシリス・シャフトは、

「クフ王の墓」と認識されていたということになります。

このことを、どう解釈すればよいでしょう?





私の仮説。それは、





「オシリス・シャフトは、オシリスの象徴墓ではない」


というものです。




私が考えるオシリス・シャフトとは、



「クフ王の象徴墓」

です。



オシリス・シャフトには、

デンデラのオシレイオンより、もっと共通点のある施設が存在しています。

しかも、その場所はギザ台地の中にあります。

さらに言えば、その施設は、







「大ピラミッドの至近にある」


のです。

<続く>


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