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外装石は一段ずつ

ピラミッドの表面を階段状ではなく、滑らかな四角錐にするための外装石(化粧石)が、どの段階で設置されたかという問題は、ピラミッドのブロックを運び上げる傾斜路の問題と関係しています。

一段積み上げる毎に外装石も設置されていたのか、コアブロックが全て積み上げられてからはじめて外装石を設置したのか、どちらでしょうか。


後者ならば、外装石は頂上付近、つまり上から設置されたはずです。設置しつつ、一段ずつ傾斜路を低くくしていったはずだからです。もし後者で下から設置したとすると、傾斜路の土台が邪魔です。傾斜路を撤去した後だとすると、今度は外装石を上まで運べません。傾斜路があったとするならば、外装石は上から設置されたことになります。


私は前者が正しかったと考えています。一段積むごとに外装石も仕上げるのです。外装石とはいえ、同じ段なのですから、同じタイミングで運び上げるのです。


すると、傾斜路は、外装石によりかかる形でピラミッド本体に接していたことになります。私には、それが解せないのです。ツルツルの外装石に傾斜路をよりかける。でしょうか?


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とにかくおかしい

とにかくおかしなことは、

スフィンクスの前に神殿があることです。

スフィンクスはもともと神ではありません。



ルクソール・カルナック神殿のスフィンクス参道を見れば、

スフィンクスが神ではないことがわかります。

「神殿にあるもの」ですが、神ではない。

エジプトでは、同じ神体がいくつも並べ立てられたりしません。



それと、もしスフィンクスが神だったとしたら、

そもそもその信仰はメジャーでなくてはなりません。

トトやクヌムあたりと同じくらい、

その名を知られていなくてはなりません。

しかし、なぜかオリジナルの名は知られていない。



とにかく、スフィンクスの前に神殿があるからといって、

それがスフィンクスのためのものであったと

みんな「思い込んで」いるのです。

新王国時代の信仰と古王国のそれを混同しています。




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共通テーマ:学問

細溝

スフィンクス堀の南壁は、カフラー王のピラミッド参道の北側でもあります。


ここには、かつて大論争を巻き起こした「縦の溝」があります。


これは、「リル(細溝)」と呼ばれる、水による浸食の跡です。


石灰岩は水、とくにに弱酸性の雨に溶解しますので、単に流れが岩を削ったのではなく、溶解を伴った浸食が起きたのです。

では、これが一万二千年前に降った雨によるものかと言えば、それは違います。


雨ならば、参道である上部から側面にかけた六十度くらいの角度の斜面が最も浸食されているはずです。


しかし、実際は側面の中ほどが最も浸食されています。


石灰岩地層に挟まれた、風による侵食を受けやすい砂の層が水平方向に侵食され、それが縦の溝の浸食に影響しています。

砂の層辺りが最も浸食しやすくなっていたのです。



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砂よけの壁

カフラー王の河岸神殿の南側には、神殿を砂から守る周壁(エンクロジャーウォール)が残っています。


スイスのヘルベルト・リッケはかつて、同じような周壁が北川にもあったと主張しました。

神殿前のテラスに、その痕跡が見られるからです。


これが、AERAをはじめとする「河岸神殿先行説」の主要な根拠となっています。


スフィンクス神殿より河岸神殿のほうが先にあったという説です。


ちなみに私はスフィンクス神殿先行説です。


さて、一年ちょっと前に、スフィンクス神殿と河岸神殿のテラスの先で、トトメス4世がつくらせたと見られる泥レンガの壁が発見されました。


これも、神殿を砂から守るためです。


テラス前はかつて増水期の船着き場でしたから、ナイルの流れが変わって、砂漠化が進んだ新王国時代のものです。


しかし、それにしても、都合よく、北の周壁の後をカバーするように泥レンガの壁がつくられたものです。


私は、こんなことを考えたのです。


わざわざ砂から守るための壁をつくらねばならなかった河岸神殿だったのに、


なぜ、わざわざ隣にスフィンクス神殿を建てようとしたのでしょう。


しかも、北側の周壁を壊し、

しかも、河岸神殿より低い場所に。


そんなに砂が邪魔なのに、わざわざスフィンクスを窪地化してしまうように、唯一開けた東に神殿を?


私は、こう見ています。リッケの見つけたものは、スフィンクス神殿が未完成で放棄されたあとで作られた河岸神殿を砂から守るため、


「スフィンクス神殿の南壁を一部活用した」壁を作ったのだろう、と。


先にスフィンクスとスフィンクス神殿があったからこそ、河岸神殿を建ててから、砂害に困ったわけです。


とくに両神殿の間から砂が吹き込むと、窪地にたまる一方ですからね。



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