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アブラワシュの船

放射性炭素年代測定法についてちゃんと調べました。最近では加速機を使ったAMS法の、ピラミッド時代あたりの誤差は、平均で33年くらいらしく、日進月歩のようです。

すると、新たに発見されたアブラワシュ(アブロワシュのほうが表記としては好きなのですが)の船は、やはり初期王朝時代の線がかなり濃厚ですね。


ただ、その年代は、木が切られたときの年代なので、造船年代とは違いますが、それにしても、第1から2王朝あたりですかねえ。デン王と確定できるほどではなさそうですが。


木だけでなく、ロープの残骸も試料にしたのかどうか知りたいところです。


ところでアブロワシュの船は小さいですね。生活に使うような小さな船ですね。模造船なのか実用船なのかも今はわかりません。


ただひとつわかるのは、奉納船は、他の奉納品よりも特別だったということです。高貴な死者に船を捧げる行為は、葬送儀礼上、重要だったはず。



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最古の太陽の船?

ギザで初期王朝時代の「太陽の船」が発見されたと共同ニュースが配信しています。


初期王朝時代ならラー信仰なんか盛んではなかったはずで、太陽の船が太陽の船じゃなかったことをむしろ裏付けてしまいます。


ひっかかるのは、なぜギザ?というところです。ギザに初期王朝時代の王の墓ってあったっけ?と考えてしまいました。

そしたらアブロワシュだったようです。ジェドエフラーなんじゃないの?と思ってしまいました。ただ、発見された場所はジェドエフラーのピラミッドからは離れているようです。


たぶん、放射性炭素年代測定から五千年前と出たのでしょう。


が、確か誤差の範囲が400年くらいあったはずです。


大ピラミッドの太陽の船の検査結果も4650年前、第3王朝のネチェリケト王4700年前と百年くらい定説より時代が遡ると言われているので、本当に初期王朝時代かはまだわからないなと思っています。


もし測定結果が正しければデン王の時代になるそうな。ピラミッド時代より前ですな。


初期王朝でアブロワシュでデン王と言われても、つながりません。


少なくとも太陽の船とはだいぶかけ離れた副葬品でしょう。



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崩れピラミッドのコア 続き

メイドゥムの崩れピラミッドは、ギザのピラミッド群に比べて、ブロックが小さいわけです。


もし、ピラミッドのブロックが全てあの大きさだったら、ピラミッドはそんなに謎めいて見えなかったでしょう。


ギザのピラミッドのブロックの大きさですと、長大な直線傾斜路を考えたくなるんですが、ブロックが小さいとどうでしょう?


むしろ数人でホイホイ手渡しするほうが早そうです。


しかしですね、小さいなら小さいなりに、並べて何個かまとめて運びたいですよね。


何せ、人手はたくさんありますから。ファラオか、というくらい。


そうなると、やはり、ロープで引きたいわけです。もちろん水平に。


わざわざ長い坂道を上りながらロープを引くのはかなり重労働ですし、効率が悪い。


で、メイドゥムのピラミッドが崩壊したのはですね、おっと、これは次に話します。


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崩れピラミッドのコア

崩れピラミッドは、コアの一部が露出しています。


興味深いのは、コアのの表面が平らに加工されている点です。


最新の解釈に従い、まず以下を前提とします。


①崩れピラミッドは完成していた。

②崩れピラミッドは階段ピラミッドでなく真正ピラミッドだった。

③崩れピラミッド周囲の瓦礫は、建設用傾斜路ではなく充填材である。


すると、おかしなことに気がつきます。


どうせ化粧石で被われてしまうのに、何故コアの表面を揃え、滑らかに加工したのでしょう。


考えられることは、

①階段ピラミッドとして完成させてから、例えばセド祭による更新などで後から真正ピラミッドにした。


②階段ピラミッドの端の水平部分に人が並び、ブロック引き上げのためにロープを引いたから。


③元々6面加工のブロックを使用していた。


私は②だと考えています。


化粧石は内側から外側に押し出されるように設置されたはずです。


一度階段ピラミッドを完成させてしまえば化粧石を設置できません。


③もありえません。コアの表面ブロックは直方体でなく、精巧に角度をつけてあり、多段に揃えられています。

据え付けてから削っています。


②は合理的だと思うのです。

垂直に凸凹していたら、ロープを引くときに邪魔になるのです。



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充填ブロック

sphinx2.jpg

ギザの第二ピラミッドは、カフラー王のピラミッドです。

このピラミッドは、上部に白色石灰岩の

「化粧石」

が残っていることで知られています。



今回は、その化粧石の下を見てみましょう。

800px-Alig_Khafre_Pyramid_top_437.jpg

その下の層は、整然とブロックが並んでいます。

しかし、そのまた下を見ますと、表面が凸凹しています。



つまり、まず外側には化粧石があり、

内側には整然と並んだブロックの層があるのですが、

その間に、「充填ブロック」と「充填材」があったものと見られます。




内側の整然と並んだブロックの層と化粧石の間は、

比較的、適当に埋められたようです。

そのため、整然と並んだ層は、きれいに充填ブロックや充填剤がはがれ落ち、

その上の層は、充填ブロックや充填材が剥がれにくくなっているのでっしょう。

そのため、上のほうだけ残っているのだと思います。

単に上の方にあるというだけで採石に来た者たちが

盗らずに帰ったというわけではなさそうです。





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直線傾斜路

今もピラミッド建設における直線傾斜路説への支持は根強いものがあります。


しかし、何も持っていなくても、何百メートルの坂を上るのは、それだけで大変な重労働です。


それに、そりは滑りますから、しっかり後ろで支えていないと、後退して滑り落ちます。


長い棒を梃子に使ったとして、梃子を何度となく坂の路面に突き立てるわけです。傾斜路がその損傷に耐えられたのか、そもそも、重いブロックや何十人もの人間が行き来することに傾斜路が耐えられたのか、甚だ疑問です。


例えば、50メートル先に高さ1メートルの朝礼台があったとします。


その朝礼台の上に、重さ2トンの石灰岩ブロックを載せたいと思います。

この場合、朝礼台はいくら重量がかかっても壊れないが、移動はできないものとします。


50メートルの直線傾斜路を作って引き上げる方法はあるでしょう。


しかし、私なら、傾斜路は5メートルで十分です。

朝礼台の後ろに水平の台をつくり、人が一列に並んで水平に引っ張ります。


傾斜路の上を人間は移動しません。ロープにつながれたそりとブロックだけが傾斜路上を移動します。



もし、朝礼台が広く、何個もブロックを引き上げるとしたら、どちらが効率的でしょうか。



直線傾斜路はあったにせよ、人はそこを上らなかったと考えます。傾斜路は、もっとずっと短かったのです。

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TBS『謎の“古代文字”と“太陽の船”が語る ピラミッド 新たな真実緊急解明SP』について その1


その2 クフ王の船は、誰の治世に奉納されたか?

吉村説…ジェドエフラー王。

ワイズマン説…クフ王の治世に奉納されたが、ジェドエフラー王の治世に解体され、石蓋の下に収められた。


確かに、大ピラミッドの南側にある船を収めた長方形のボートピットの石蓋の裏には、赤い文字でカルトゥーシュが描かれており、名前はジェドエフラーです。


多分、英語ならプロバイデッド・バイ・ジェドエフラーといった意味です。「提供ジェドエフラー王」といった感じ。


ただ、それは「石蓋」の提供です。船ならば船に書かないと。


まず、ボートピットというのは、通常船底型なのです。


大ピラミッド東側のボートピットもそうです。


船底型なのは、船の形のまま奉納したからです。

東側には特に、大型の船底型ボートピットが2つあります。


ワイズマン説は、元々東側にあった完成形の二艘の船が、ジェドエフラーによって南側に移動、解体、収納されたと考えます。


移動の理由は、盗掘や放火から守るためです。


実際、ほとんどのボートピットからは船が発見されていません。


エジプトでは木材は貴重でしたから。


クフ王の母であるヘテプヘレスの副葬品も、ギザで、隠された形で発見されています。


ヘテプヘレスのベッドや輿などが収められており、大きなものは解体されています。


おそらくは、元は広い場所に完成形で収められていたはずです。


死者とはいえ、使えるように収めるのですから。


副葬品を最初から解体して収めはしません。


また、最初から船が南側に収められる予定だったとすると、


船の大きさと穴の大きさのバランスが合っていません。


マストが端に立てかけられていたのも不自然です。

船は、後から解体されたのです。


ちなみにジェドエフラーのピラミッドのボートピットは船底型です。


自分のを原型の船として、父王のは解体したとすれば、相応の理由があったはずです。




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TBS『謎の“古代文字”と“太陽の船”が語る ピラミッド 新たな真実緊急解明SP』について その1

さきほど見ました。

吉村作治先生の仮説と、当ワイズマン仮説を比較します。


その1 クフ王のピラミッドの南側から発見された船は何か?

吉村説・・・太陽の船。亡くなった王の魂が天空を移動するための乗り物。

ワイズマン説・・・ソカル神のヘヌウ船。陸上で大型船を曳く宗教的行事がすでにあった。


吉村説は、ヘリオポリス神学の太陽神ラー信仰をベースに解釈しています。

ジェドエフラーやカフラーなど、ラーの名前を息子たちにつけはじめたのは

クフ王だったからです。


ワイズマン説は、メンフィス神学のソカル神信仰をベースに解釈しています。

ソカル神は冥界の神であり、王の葬祭儀礼に関係しています。

ソカル神は「サッカラ」という地名の語源となっています。

サッカラとは、最初のピラミッドが建設された地です。

サッカラは、首都メンフィスのネクロポリス(死者の埋葬地)でした。

ソカル神は、ミイラの姿をしています。

ソカル神の祭りで大型の船を曳く行事があり、

人々はメンフィスの周囲を船を曳いて廻りました。

クフ王以前に、

「陸上で大型の船を大勢で曳く葬祭と関連する宗教的行事」

が存在していたのです。






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オベリスクの立て方 その2

オベリスクの形は、オベリスクの立て方と関係しています。


まず、上に向かって細くなっている姿は、立てた後の安定のためもありますが、重心を下げ、上部を軽くするという意味もあります。



また、先端まで尖った四角錐としなかったのは、細いとロープが引く力と自重によって、先端が折れる可能性があるからです。


また、オベリスクの先が屈折しているのは、立てる直前に、枕木を入れ込む作業に適しています。
地面に置かれた状態でも、先端は若干地面から浮くのです。


オベリスクはまず、横たえられた状態から、底部のストッパーの形成をします。底部が滑ると立ち上がりません。


次に先端に丸太のテコを入れ、枕木を挟みます。これでロープをくくりつけることができます。


ロープは、木の櫓を通り、擬似動滑車であるジェド柱にもくくりつけられます。ジェド柱は組み合わせられ、より少ない力でゆっくり立ち上げられるようになっています。

いよいよロープが引かれ、ゆっくりオベリスクが立ち上がります。

ジェド柱がくるくると回りながら動きます。


オベリスクには何十本ものロープが巻きつき、さながらミイラのようです。


立ち上げた瞬間、歓声が湧き上がったことでしょう。


おそらくは、イムホテプが考えついた、魔法のようなテクノロジーに、人々は、自分たちこそ現代人であると感じていたでしょう。



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新説 古代エジプトにおける石柱の持ち上げ方 その4

「古代エジプトに動滑車はなかった」

これが定説です。

しかし、もし、動滑車に似た技術があったとしたら?



ジェド柱とは、王の儀式で用いられた謎の柱です。


ジェド柱を立てることが、儀式の重要な場面でした。


しかし、誰もジェド柱が何であるのかを説明できませんでした。



ジェド柱の特徴は、4つの輪です。


円柱上部に等間隔の輪が円盤状についています。

私は、そこに三本のロープがかけられたのだと考えます。


一本のロープは、持ち上げたい重量物とジェド柱とを結びつけます。


もう一本のロープは、片方が地面や岩などに固定されます。

そして片方は作業員に引っ張られます。

そうすれば、引くための力は半分になります。


そして三本目は、他のジェド柱と結びつけたりする所謂

「組み合わせ滑車」

を作るために使われたと考えます。


ジェド柱は擬似動滑車、だったのです。


したがって、ジェド柱は地面に固定されていませんでした。



だから、建物を探してもジェド柱は残っていないのです。


王が儀式でジェド柱を立てるのは、鍬入れ式と同様、

新しい神殿の建設などの最初の手付け行為だからです。


さて、組み合わせ滑車を用いれば、


重量物も信じられないほどの小さな力で持ち上げることができたでしょう。


ワイズマン仮説は、ジェド柱を

「擬似動滑車」

と推理します。



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