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しばらく

執筆にかかっていました。

たぶん、これからまだ数か月はかかりそうです。

更新せずにいた間に、

続けていくつか、重大な発見をし、確信しました。

ワイズマン仮説のメインとなる部分は、それなりに説得力を持つでしょう。

いくつかは修正を要することもわかりました。



ピラミッド建造法に関しては、

長大な傾斜路という説は無いと確信しています。

ウーダンのセオリーも、荒唐無稽です。

ピラミッドの建造は、マシーンではなく、

人力によって、しかも、美しく合理的な方法で建造されました。

聞けば、多くの人が納得するでしょう。




そして、聞かなければ、けっして思いつくことができない。

それは、誰の眼の前にもあるのに。


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スフィンクスはオスかメスか

大スフィンクスはメスかオスか。

この件に関して疑問を呈した人を私は知らないが、私の答えは「首から下に関してはメス」である。

ちなみにギリシャのスピンクスはメスの属性だが、想像上のキメラなので大スフィンクスほどにはその違いは重要でない。

まず、はっきりさせておきたいのは、スフィンクスの胴体はライオンだということだ。アヌビスでもないし、犬でもない。あれはライオンである。

次に、そのライオンは、絶滅したバーバリライオンである。


バーバリライオンは大型のライオンで、オスは最大4メートルの体長となった。


バーバリライオンのオスの特徴は豊かなたてがみと尾の房である。


その点、大スフィンクスは最重要なたてがみが無い。頭巾とかぶると言えばそれまでだが、ライオンのオスメスの決定的違いはそこだ。


それと大スフィンクスの尾(あるんです。右側に)の先には、房がない。


とはいえ、私は外見的特徴を細かに検証したいわけではない。


私の仮説ではすでに結論として、あれがヒエログリフだということになっている。


伏せるライオンのヒエログリフに描かれているのは、たてがみのない「メス」なのである。


古代エジプト最強の殺戮と戦闘の神はセクメトという獅子頭の神だが、セクメトは女神なのだ。


実は、今もアフリカに生息するライオンのオスはあまり狩りをしない。バーバリライオンがどうだったかは分からないが、体長4メートルともなれば、想像もつこう。


狩りという点を注視するならば、ライオンはメスなのである。


現代人、だけでなくローマ時代にあっても、とかくオスをモチーフにしたがるものだが、古代エジプトの古王国時代にあっては、ライオンのモチーフはメスでもおかしくない。


もともとヒエログリフだから、ヒエログリフのままのメスなんである。


頭は男の王なのだが、あれもヒエログリフだから、男の頭にメスの体をつけても問題ないのである。


しかし、これが「神」であったなら、話は別だ。古代エジプトの神々には性別がある。


頭と体で性が違っていたりはしないのだ。


もしオスライオンの神ならば、たてがみを譲るわけにはいかないのである。


北のエンクロージャー その2

携帯からの更新なので興味あるかたはsphinx enclosureで検索してください。

さて北のエンクロージャーが後からの「付け足し」だったということは、次のような仮定を導き出します。


それは「スフィンクス神殿は大した価値が無かった」ということです。


だってそうでしょう。

神殿の東南壁から、ニョキッとくの字の囲いが生えたように造られてしまったわけですから。


もしスフィンクス神殿に神官がいたら、絶対に許さないでしょう。


ヘルベルト・リッケによれば、スフィンクス神殿は完成していませんでした。


つまり、カフラー王の河岸神殿が機能していた頃、スフィンクス神殿は廃墟だったのです。

北のエンクロージャー

カフラー王の河岸神殿の南側には石造りのエンクロージャー、つまり「囲い」がありました。

これは、前にも触れましたが、水から守るというには無料があり、砂というのも今イチです。なぜなら、この囲い、砂が中に溜まりまくるからです。


私の推定は「人」です。おそらく、物売りが神殿の壁を背にするのを見過ごせなかったんでしょう。神域だぞ、と。結界ですね。


この囲いが、スイス人考古学者ヘルベルト・リッケによれば、北にもあったんですね。河岸神殿の隣のスフィンクス神殿の南端から、くの字のカギ形に生えていました。


リッケは、神殿の前の岩床に、岩石ブロックの構造物があったことを伺わせる人工的に穿たれた溝に目をつけたのです。


で、リッケは考えました。「これは、もともとあったエンクロージャーを壊して、後からスフィンクス神殿を建てた名残だ」と。リッケは、スフィンクス神殿より先にカフラー王の河岸神殿があったはずだと考えていたんです。


そして、この考えは、今もマーク・レーナーが引き継いでいるんですね。レーナーもまた、スフィンクス神殿は、河岸神殿の後にできたと思い込んでいます。


なぜなら、スフィンクス神殿がカフラー王の建てたものだという証拠になるからです。


しかし、私は見つけました。これを見にエジプト行こうと考えていたくらいです。


写真を見つけたんですね。みんなスフィンクスは撮るけど床は撮らない。

リッケの着目した溝は、スフィンクス神殿の下に潜り込んでいないんです。

わかりますね?

スフィンクス神殿の壁を利用して、むしろ後から付け足されたんです。

スフィンクスはカフラー王が造ったんですが、順番は、河岸神殿のほうが後なんです。



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