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大ピラミッド・地下の間 ブログトップ

第13回 「工事中止 その4」 [大ピラミッド・地下の間]

※地下の間に地下水が満ちている写真が合成である可能性を疑い、
内容を一部変更しました。(6月29日)

ギザのピラミッド群は、外装石に使用した白色石灰岩を

対岸のトゥーラなどから、

メンカウラー王のピラミッドの下部外装石に使用した赤色花崗岩を

北部のアスワンから運びましたが、

コア・ピラミッドを形成するために最も多く使用した石灰岩ブロックは、

目の前のギザ台地から調達しました。



ギザ台地は、砂漠に似つかわしくなく、かつて海の底だったことがあります。

そして、人類の歴史をはるかに超える長い年月の中で、

隆起を繰り返しました。



そのため、ギザは、石灰岩の層と砂(やサンゴ礁)の層とが、

交互に堆積していました。



そのことは、ピラミッドの採石に画期的な貢献をしました。

石灰岩の地層は、縦に石を割るだけで、水平方向には容易に剥がれたからです。

隣あった石どうしを組み合わせれば横の断面はピッタリ合いますし、

縦に積んでも自然が水平方向に美しく切断してくれていますので、

「ナイフの先も入らない」

石組みの完成です。




宇宙人や超古代文明のテクノロジーと誤解されるほど、

古代人は自然を巧みに利用していたのです。




ギザのピラミッド群が他に比べて大規模な理由のひとつは、

明らかに、こうしたギザ台地の採石のしやすさに拠っていました。





そのようなギザ台地の地層は完全に水平ではなく、

ピラミッドの方向に向かって、傾斜をしていました。


ギザ・地層.jpg


http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/bekkan/ooparts/2.htm


↑ スフィンクスの壁に刻まれた水流の跡を、合理的に説明している。

基本的に考え方は同じ。





その傾斜が、

「あること」

を惹き起こしていました。



石灰岩の地層と地層の間にある砂の層は、

地下水の水脈として水をじわじわと伝える

「天然のパイプライン

の役割を果たしていたのです。




ナイル上流には、

1901年アスワンダム、

1952年アスワン・ハイ・ダムが建設されました。

そのことによって、長くエジプト文明を支えてきた

下流域の定期的な大氾濫がコントロールされてしまいました。




上流の大規模ダムの建設によって、氾濫が抑制されたことは、

氾濫期のナイルの伏流水量も減少したということを意味しています。

ナイル伏流水が、「氾濫期の水量」によって、

大きな水圧を得た場合には、

ナイルの地下水は


「高台を上る」

のです。


氾濫期の豊富な水量が圧力となるのです。




ギザ台地の砂の層と、氾濫期の大きな水圧が、

大ピラミッドの地下水の浸水を惹き起こしたわけです。




しかし、私は、研究者がこのようなことを見逃すわけがないと思っています。

研究者が、あまり地下の間と地下水の関係を取り上げない理由のひとつは、




「ありふれたことだから」



ではないかと思います。




先に述べたように、ピラミッドの玄室が地下水で満たされるというようなことは、

ほかにいくつも起きています。



ピラミッドの地下玄室が後世地下水で満たされてしまうことなど、

ありふれたことだったのでしょう。

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第12回 「工事中止 その3」 [大ピラミッド・地下の間]

地下の間に入ると、目の前の床に大きな穴(ピット)があいています。

この穴、一説によれば、アラブの太守アル=マームーンが掘らせ、

その後も掘り下げられたものだと言われています。

地下の間.jpg

↑手前の穴がそれ



この穴、もっとも深いところで床から11メートルにもなるといいます。

金銀財宝を目当てに掘られたのではないか、

と言っている人もいます。



しかし、ちょっと不思議なことがあります。

地下の間は、前にも述べたように、石灰岩の岩盤を掘り抜いて造られています。

土を掘ったわけではないのです。

そう。

金銀財宝を隠したとすれば、一度石灰岩を掘って穴を開けたのち、

塞がなくてはなりません。

何の痕跡もない床をいきなり掘り始めたりはしないはずです。

また、金銀財宝が出ないからといって、

石灰岩に穴を開けていくという発想、

誰が持つのでしょうか?




私の推理はこうです。

もし、アル=マームーンの調査隊が地下の間の床にあいた穴を掘り返していたとすれば、

その理由は、

「そこに妙な痕跡があったから」

ではないでしょうか。



具体的に言えば、

「そこだけ埋め戻された痕があった」

のです。

やみくもに床に穴を開けるわけがありません。




私は、そもそもここに穴を開けたのは、

ピラミッドの建設者たちだったと思うのです。

そして、その理由は、

「地下水」

です。



地下の間に浸水があったとすれば、

地下水は、どこから入ってきたのでしょうか?

そのもっとも可能性の高い場所、

私はそれを

「下降通路のクラック

だと考えます。


クラック.jpg

http://gizacetaceanconnection.blogspot.com/2010/03/function-and-purpose-of-great-pyramid.html


↑ 下降通路を縦断しているのがクラック


下降通路には、石灰岩が大きく縦に裂けた

「クラック」

と呼ばれる裂け目があります。

下降通路には、このクラックを補修した痕跡があります。



クラックから染み出た地下水は、下降通路を伝って地下の間に溜まります。

もし、下降通路のクラックから地下水が浸出していたとすれば、

地下の間の床にあいた穴は、

水の溜まり場になります。



或いは、地下水脈を調査し、止水の可能性を探ろうとしたのかもしれません。

排水を試みたのかもしれません。




いずれにせよ、王の玄室の床にいびつな穴を開けるくらいですから、

相当の覚悟をもった行為であったと言えるでしょう。


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第11回 「工事中止 その2」 [大ピラミッド・地下の間]

2007年12月30日、

共同通信社は、ギザの古代遺跡周辺における地下水位上昇のニュースを伝えました。

 【カイロ30日共同】3大ピラミッドやスフィンクスで知られるエジプトの首都カイロ郊外ギザの古代遺跡群周辺で地下水位が年々上昇し、一部で地上に水があふれて遺跡が浸水、ピラミッド建設に当たった労働者や貴族らが暮らした街の遺跡「ピラミッドタウン」の発掘作業に深刻な影響が出ていることが30日までに分かった。同国考古最高評議会のザヒ・ハワス事務局長らが共同通信に明らかにした。  評議会の委託を受け、ギザで地質調査を行うカイロ大工学部のレダ・ダマク博士は「地下水はスフィンクスの真下でも約4メートルに迫っている」と説明。地下水には塩分なども含まれていることから、長期的には地中の基礎部分の腐食を通じてスフィンクスが危険にさらされる恐れもあり、評議会は近く、地中に排水管を敷設するなどの対策に乗り出す方針。  ピラミッドの南側に広がる古代エジプト第4王朝期(紀元前2613−同2494年)に形成されたピラミッドタウンの一角で、貴族らが居住していたとみられ住居跡や土器が多数出土している「西の町」と呼ばれる遺跡の浸水が特に深刻。




しかし、2008年8月14日、エジプト考古庁は、地下水がスフィンクス本体に与える影響はないと発表しました。



 【カイロ14日共同】エジプト考古最高評議会は13日、首都カイロ郊外ギザにあるスフィンクスの近くで見つかった地下水は、スフィンクス本体や基礎部分に悪影響を与えないとの調査結果を発表した。塩分などを含んだ地下水が基礎部分などを腐食させる恐れが指摘されていた。  同評議会のザヒ・ハワス事務局長らによると、今回の調査によって、スフィンクス近くの地下水の水位は地下4・8メートルで、古代から変化していないことが判明した。




注目すべきは、ここです。



・・・今回の調査によって、スフィンクス近くの地下水の水位は地下4・8メートルで、古代から変化していないことが判明した。



古代から、地下水位は、あまり変化していなかったのです。







数年前にTVでも取り上げられた

「オシリス・シャフト

と呼ばれる遺跡が、カフラー王の参道脇にあります。

オシリスシャフト.jpg



http://www13.plala.or.jp/rameses2/2005osiris.htm



この最深部地表マイナス40メートルに達する遺跡は、

発見当時、なみなみと地下水をたたえており、

遺跡を発掘する作業員たちの

「水汲み場」

であったといいます。





そして、クフ王の大ピラミッドの隣、

カフラー王のピラミッドの玄室は、

大ピラミッドの地下の間に比べて地表面に近いところにあります。

この玄室、イスラム時代に



地下水が浸水していた


かもしれないのです。

「1818年、イタリア人探検家、ジョヴァンニ=ベルツォーニは、カフラー王の第二ピラミッドの入口を見つけようとした。かれは、地面近くに三個の花こう岩の角石で塞がれた本来の入口と思われるものを発見した。入口に続く通路は埋葬室に続いており、そこには花こう岩の石棺だけが置かれていた。部屋の西壁にはアラビア文字で書かれた銘があり、゛この部屋はヘジラ以降のある時期、水につかっていた″という意味のことが記されていた。」(273ページ)。 『大ピラミッドの謎に挑む・失われた王墓』(ピーター・トンプキンス著、吉村作治訳)




じっさいに地下水がピラミッドの玄室に浸出した例はいくつもあります。


代表的なのは、


ティティ一世(第6王朝)のピラミッド

アメンエムハト一世(第12王朝)のピラミッド

センウセレト一世(第12王朝)のピラミッド

センウセレト二世(第12王朝)のピラミッド


で、今も水に浸かったままです。

(これらのピラミッドは、建設当時から浸水していたわけではありません。玄室が地下水の浸水を受ける例として挙げました)




大ピラミッドの地下の間の工事が、

突然中止されてしまった理由。



私は、



「地下水の浸水」

だったと考えています。



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第10回 「工事中止 その1」 [大ピラミッド・地下の間]

ピラミッドの正規の入口から伸びる下降通路。

この下降通路は、真っ直ぐ「地下の間」を目指しています。

大ピラミッドの内部構造や建造の目的をめぐっては、

多くの論争がありますが、大きく分ければ、

「地下の間は建設工事初期の玄室」であったか、なかったか、

という2つに収斂していきます。



私は、下降通路が王の石棺を通すために設計されたと考えており、

当然、その到着先の地下の間は、王の玄室だと考えています。




しかし、地下の間の目的が何であれ、

どのような説を支持する人であれ、

地下の間の工事が、突如中断されたことに関しては、

ほとんどの人が異論ないでしょう。


地下の間は、石灰岩の岩盤を掘り抜きながら造られたもので、

平らな天井や一部の壁は形成されているものの、

床は未完成です。

地下の間.jpg


http://www13.plala.or.jp/rameses2/great1.htm




未完成とはいえ、ここまで岩盤を掘り抜くには、

信じがたいほどの時間と労力がかかっていたに違いありません。

下降通路は狭く、一度に作業できる人員は限られていました。

地下の間内部についても、

ノミと槌を使って、途方もない時間をかけて掘り抜き作業が行われたのです。




「それだけの労力をかけた工事を中止せざるを得なかった理由」


があったに違いありません。


それは、いったい何だったのでしょうか?




それは、聞けば誰しもが納得できることでありながら、

ある理由で気づかれなかったこと、



だったのです。


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