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第29回 「誰もが見過ごしてきたこと その4」 [傾斜路]

史上初のピラミッドは、

サッカラの

「ネチェリケト王の階段ピラミッド」

ということになっています。


350px-Saqqara_BW_5.jpg

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Saqqara_BW_5.jpg




ネチェリケト王は、

「ジェセル王」の名で知られている

第三王朝の王です。





ピラミッドは草創期において、


階段ピラミッドでした。





しかし、階段ピラミッドは、短い間に

「真正ピラミッド」と呼ばれる

四角錐のフォルムに置き換わりました。




その謎は、例えば第四王朝から盛んになった

太陽神ラー信仰と重ねて説明されました。

四角錐は、太陽光線を象徴するものだと唱える専門家もいました。



それは、当て推量というわけでもなく、一理あるのです。

第五王朝に入ってから、ピラミッドの質は相対的に落ちて、

代わりに太陽神殿が盛んに造られるようになります。

とくに第五王朝初代ウセルカフ王の太陽神殿では、

その複合体の中、ピラミッドがあっておかしくない場所に、

巨大なオベリスクがありました。

太陽神信仰とピラミッドの結びつきを考えれば、

太陽光と何らかの関係性を考えるのも頷けます。




しかし、古代エジプト全般において、

壁画等で、

太陽の光が三角形や四角錐で描かれた様子を知りません。




四角錐といえば「ベンベン石」です。



ベンベン石とは、原初の丘にあった石のこととされています。

原初の丘とは、

ヘリオポリス神話に出てくる丘で、

実際にヘリオポリスにあった丘を模したものだと言われています。



真正ピラミッドとオベリスクに共通しているのは、

その天頂部にあるピラミディオンです。

それが、ベンベン石を象徴するもの、

だったのではないかと考えられています。




ベンベン石を、より神に近いところまで掲げようとしたのが、

ピラミッドだったのかどうか。

その話はまた先にするとして、




私ワイズマンは、

なぜ階段ピラミッドから真正ピラミッドに変わったのかについて、

こう考えます。


「外装の角度をベンベン石の角度に合わせた」


という考え方もできるかもしれません。




しかし、より強い構造上の意図として、





「階段ピラミッドを造る際に

どうしても生まれる傾斜路を、

いっそ構造の一部にしてしまおう」



ということが、あったのではないかと考えるのです。



傾斜路を外すのではなく外装としてしまう、

その試みこそ、

真正ピラミッドではなかったか、と。





「傾斜路が、真正ピラミッドを造った」

というわけです。








さて、傾斜路が上層までどのようにつながり、

どのようにブロックを運ぶかについては、

別の機会に説明したいと思います。




次回は、女王の間建設の前段階、

「上昇通路」

について説明したいと思います。

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第28回  「誰もが見過ごしてきたこと その3」 [傾斜路]

ピラミッドの低い場所は、たとえ長い傾斜路を設けたとしても、

建設することは可能ですが、

上層部ともなれば、そうはいきません。



テラスの上に作業員が水平に並び、ロープを引いたという

ワイズマン仮説を前提とすれば、

上層部では、傾斜路の角度を急にしないと

対応できません。



また、重機も使わずに人力だけで大量のブロックを運んだピラミッド建設、

たとえ工期が20年だったとしても、

短いとさえいえます。

その短い工期を実現するには、

一つひとつのブロックをいかに短時間で大量に運び上げ、

そして設置するかということが問題になります。




そのためにも、短く急な斜面は、好都合です。




おそらく、傾斜角は、何らかの原因でブロックが途中で止まっても、

「摩擦力によって急にずり落ちないぎりぎりの角度」

になっていたのではないかと思います。




こうした傾斜路が、ピラミッドの斜面に何本か

存在したのではないかと私は考えています。

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第27回 「誰もが見過ごしてきたこと その2」 [傾斜路]

ギザのピラミッド群をつくるために、傾斜路はあったのか無かったのか?

これは、



ありました。



しかし、長大な直線でもなければ、

らせん状でもなければ、

内部傾斜路でもなければ、

ジグザグでも屈折でもありませんでした。





その跡は、じつは、






今も残っています。







ピラミッドを造った際の傾斜路の跡は、






今もそこにある






のです。






これまでの傾斜路に関する仮説は、


全て傾斜路の上を人が移動する前提でした。


しかし、ワイズマン仮説では、人はテラス上を水平に移動するだけなので、


傾斜路を移動するのは、基本的に


「ブロックだけ」


です。






従来の仮説では、人が上ることができる斜度を想定していました。




しかし、私の仮説であれば、急な斜度でも問題がありません。




いや、むしろ、






「急な角度であったほうが都合が良かった」





のです。





では、その角度とは?












みなさんが、ご覧の角度

だったのです。






傾斜路は、真正ピラミッドの傾斜そのものです。





傾斜路は、いつでも「そこ」にあったのです。

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第26回  「誰もが見過ごしてきたこと その1」 [傾斜路]

ブロックを引き上げる傾斜路については、


ご存知のように、いくつもの仮説が生まれ、未だに決着を見ません。


もっともオーソドックスな、長大な「直線傾斜路説」。


これは、しばしば指摘されるように、

傾斜路の設置と解体に、

本体ピラミッド建設に匹敵するかそれ以上の労力がかかります。





次に、本体の周囲をとりまく「螺旋状傾斜路設」。


これもよく指摘されることですが、

曲がり角において致命的な欠陥があります。


また、やはり、設置と撤去に莫大な労力がかかります。





新しいところでは、ジャン・ピエール・ウーダンの「内部傾斜路説」。

pyramid-slope.jpg

http://whitemary.web.fc2.com/egypt/homepage-egypt/giza.html




斬新なアイデアでしたが、

ピラミッドの建設者たちは、

極力内部に空間を造らないようにしていました。


構造上のリスクを引き上げるような内部傾斜路を作ることは有り得ません。





他にも「ジグザグ傾斜路説」、「屈折傾斜路説」など、

さまざまな説がありました。



しかし、私は、




それらの仮説とは全く違う仮説





を持っています。





話をはじめる前に、ここで断っておきます。


私が前提とするピラミッドは、

ギザのピラミッドを中心とした、

巨大なブロックを重ねた、

大規模ピラミッドのことです。




たとえば、泥レンガや小型のブロックで造られた

ピラミッドを想定しているわけではありません。

一般の人がイメージするピラミッドらしいピラミッド、

そうお考えください。

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