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第35回 「女王の間 その3」 [大ピラミッド・女王の間]

【未知の空間】

女王の間の周辺は、

近年の非破壊調査の進歩で未知の空間がいくつか存在していることがわかってきました。

とくにニッチのやや下方から東に延びる通路上の空間は、

石棺を通す通路であった可能性があります。

(ニッチと石棺を結びつけた仮説があれば、もっと集中的に調査できたと思うのですが)



専門家の中には、

「隠されたクフ王の玄室が現れるのではないか」

といった期待を抱いている人も少なからずいるようです。



しかし、水を差すようですが、

「隠された玄室など無い」

と私は考えます。




おそらく、未知の空間はあるでしょう。

しかし、残念ですがそれは、

「作業用の空間」

という見解です。



女王の間、或いは水平通路、大回廊を建設するために、

作業のための通路やその他の空間が必要だったのです。





未知の空間を調べれば、

そこから貴重な考古学的発見が出てくる可能性はありますが、

そこが隠された王の玄室である可能性は低いと思われます。




なぜなら、女王の間の切妻構造や王の間の石組や石棺は、

当時としては、最高の技術で造られたものであり、

それらを偽装として用いたなどと考えることはできないのです。



また、無駄な空間を用意するリスクのことを、

考えなかったとは思えないのです。

作業用の空間の多くは、おそらく砂や瓦礫で埋められていることでしょう。



空間として残っていたとしても、

その場所は、厚い石灰岩のブロックで天井を閉じられているはずです。

そこには、空虚な空間と、いくばくかの歴史の残滓があるのみです。





話は女王の間周辺にとどまらないのですが、

なぜ、先日考古学相に復帰したザヒ・ハワスは、

「隠された部屋」にこだわっているのでしょう。

「チェンバー」には「空間」という意味もあるようですが、

ザヒ・ハワスが使えば、それは「部屋」という意味になります。

王の間はキングス・チェンバー、

女王の間はクイーンズ・チェンバー、

当然、未知のチェンバーが必ずあるとテレビでも公言する彼の示すチェンバーは

「部屋」と受け止められます。

しかも、多分に「玄室」を想起させる表現です。




どうもよくわからないのは、

なぜ、エジプト考古学のトップがそうなのでしょう。

日本についても同様のことが言えそうですが、

一般人の感覚では、



「あんなに手間かけて作った地下の間・女王の間・王の間が

ダミーだったなんて信じられない」



「あんなに空間をつくることに慎重だった建設者たちが、

ダミーの玄室を作ったなんて信じられない」



「そこまでして部屋を隠すなら、なんであんなに

目立つものの中に入れる必要があったのか?」



「その隠された玄室に、石棺や王の遺体をどうやって

入れたの?」




とならないでしょうか?


私が感じるのは、ギザのピラミッド以前の古代エジプトに関しては、

考古学者の解釈力には、十分気をつけるべきだ、

ということです。




彼らの解釈を鵜呑みにして先に進もうとすると、

彼らと同じく、道に迷うことになります。



彼らは、目的地に辿りついたこともないのに、

道案内の看板を掲げる人たちなのです。


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第34回 「女王の間 その2」 [大ピラミッド・女王の間]

【ニッチ】

女王の間における最大の謎は、

東壁にあるニッチ(壁龕:へきごう)と呼ばれる窪みです。

それは、上部が「コーベル構造」という左右から持ち送りされた天井を持ちます。

高さは約467ンチメートル。

ここに、王の姿を象った像が納められていたという説がありました。

断定的に書かれていたので、私はそれを信じました。

しかし、私はダマされていたと今では考えています。。

そこには、




何も入っていなかった



というのが、私の考えです。






たしかに、他の墳墓において、

像を納めるためのニッチがあることは確かです。

しかし、このニッチは、中央からもズレており、

コーベル構造も不可解です。

これはいったい何のための窪みなのでしょうか?



女王の間と、後述する「王の間」との大きな違いは、

「石棺があるかどうか」です。

女王の間は、新たな玄室として設計されながら、

石棺がその中にありません。

女王の間は、玄室として造られたにも関わらず、

石棺が無かったのです。




では、こんなことがあったとしたら、どうでしょうか?







「玄室は間もなく完成するが、石棺が届いていない」




という事態があったとしたら・・・。




王の間にある花崗岩の石棺は、

大きな花崗岩の一枚岩をくり抜いたもので、

見かけは地味なものですが、

その価値は、ツタンカーメンの棺よりも高いものと言えるかもしれません。

かの石棺は、「筒のこ」という道具で、

一本づつ硬い花崗岩を円柱状にくりぬき、

それを何本となく繰り返して穴を開けて造ったもので、

当時最高の技術を投入したものと考えられています。





本来ならば、分厚いガラスケースに入れるべき古代の傑作であって、

観光客が中に入って記念撮影できるような現状は、

信じられないものです。




その石棺が、


「もし、届いていなかったとしたら?」







もし、石棺が届いていなければ、

後で石棺を入れるための搬入口を用意しなくてはなりません。

前章で述べたとおり、

上昇通路は、石棺を運ぶことを想定していませんでした。

上昇通路と第二玄室である女王の間をつなぐ「水平通路」の高さは、

1.15メートルほどで、石棺のサイズ、幅0.98m×長さ2.27m×高さ1.05mを考えれば、

石棺自体が通らないこともありません。

しかし、下降通路から上昇通路への曲がり角を通ることはできないのです。




女王の間の石棺は、天井石を組む前であれば、

女王の間の天井から入れられたはず、という指摘もあるかもしれません。

しかし、それも次のような事情で無理だったのです。

女王の間の三角天井は、二枚の巨大な石灰岩の厚い板で出来ています。

いわば切妻屋根です。

予め中央の接合部分が合うように削られた板は、

屋根の中央でピタリと合っています。

この切妻屋根は、コーベル構造に代わって、

以後の玄室、特に第五王朝のピラミッド玄室のスタンダードになりました。

この高度な技術を用いた工事には、失敗の可能性が無いわけでもありませんでした。





もし、事前に石棺を第二玄室内に設置していたとして、

巨大な屋根の片方がズレて、玄室内に落下するようなことがあれば、

石棺は無傷では済まなかったでしょう。

また、石棺は、屋根組作業の大いなる障害になったはずです。

つまり、危険の伴う切妻屋根設置工事以前に石棺を設置しておくという発想は、

ピラミッド建設者には、無かったと思われます。

実際、女王の間に石棺が納められた痕跡はありません。






すると、石棺を玄室内に入れることができるのは、

閉じられる前の「遮蔽室」と、「ニッチ」しかないのです。

「水平通路の天井は?」

という問いもあるでしょうが、

女王の間の入口は、




「幅がたった1メートル4センチしかない」




のです。もし、王の間にある石棺に蓋がついていたら、

この入口は通過できなかったはずです。

蓋が無かったとしても、98センチメートルの幅の石棺に対し、

たった6センチしか余裕を持たせないような入口にしたということは、

石棺の歪みや、移動させるためのロープと傷から守る緩衝材を巻くことが

想定されていなかったことになります。

せめて、10センチメートルの余裕は必要であったでしょう。






いっぽう、ニッチの幅は、150センチ以上あり、

石棺の入口としては、ちょうどよい大きさです。

つまり、



「石棺を入れるための場所は、ニッチの場所以外にない」



のです。




ニッチは、玄室を閉じた後に、石棺を納めるための穴だったと、

私は考えています。

ピラミッドは、王の生存中から造られていたため、

たいていの場合、石棺などより早く造りはじめられました。



玄室は、建設作業のはじめのほうに造られるため、

石棺が間に合わない場合には、

先に玄室の天井を閉じてしまわないと、

ピラミッドを積上げていくことができなくなります。




だから、石棺を入れるための専用のシャフトを用意するのです。


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第33回 「女王の間 その1」 [大ピラミッド・女王の間]

大ピラミッドの「女王の間」、

女王とは一切関係がありません。

アラブには女性の墓の屋根を三角天井にする習慣があったらしく、

後世、この部屋に侵入したアラブ人たちが、

ここを女性の墓のようだと

仮にそう呼んだだけです。



この部屋は、「第二の玄室」です。

地下の間が放棄され、

新たに造られた、王のための玄室です。



この部屋の特徴である三角屋根。

二枚の巨大な石の板が、中央で出会い、

お互いに支え合う構造になっています。



この三角屋根をつくる方法は、

どのようなものだったのでしょう?



今から30年以上も前、

テレビ番組で放映されたのが、

部屋を砂で満たし、

砂の上に石の板を載せ、

徐々に砂を掻き出していくという工法です。



本当に、そのようなやり方がとられたのでしょうか?

私は、そうは思いません。

その理由は、


「てこ」


を使ったからだと確信しているからです。





同じ構造を持ったものが、

大ピラミッドにはほかに2つあります。

ひとつは、「重量拡散の間」の天井です。

もうひとつは、どこでしょうか?



「正規の入口の上」


です。



現在は使われていない「正規の入口」。

その上には、巨大な2枚のブロックでできた、

大きな三角屋根が見て取れます。

しかも、それが上下に二重になっています。





問題は、その三角屋根の間、です。

正規の入口を正面から撮影した写真をよく見ると、

奥にある真ん中のブロックに、

上から下に向かって、

奇妙な切れ込みが3本入っていることがわかります。



どれも、切れ込みの下が丸くなっています。

この切れ込みは、

それぞれに1本の丸太が収まっていたと考えられます。

3本の丸太のてこを使った跡です。



太い木材を確保しにくいエジプトでは、

初期王朝時代にはすでに、

レバノン杉などの輸入をしていました。

3本のてこは、おそらくレバノン杉です。

3本を同時に使って、

重い重量を支えたのです。

おそらく、外からは見ることができない

反対側にも、同じ構造体が存在していることでしょう。



まず、数本のてこをつかって、
左右の石の板を倒していきます。


すると、石の板は奥の底面の一角を支点(線)として、
双方が中央に向かって倒れてきます。


そのとき、3本のてこの中央に三角の角材を載せたものに、
石の板が支えられることになります。


すなわち、

①石の板を最初に倒すてこ

②石の板自体が底面の奥側を支点として倒れるてこ

③3本のレバノン杉の先が集まったてこ

の3つのてこが組み合わされています。



倒れた石の板が、③のてこの上に載った時点で、

石の板を支える作用点にかかる力は、

最初に石の板を傾けようとてこを動かした力点の力に比べれば、

小さなものです。


3本のレバノン杉の先が集まったてこの長さはわかりませんが、

仮に作用点にかかった力が片方1.5トンで双方合計3トンだったとします。

3本のレバノン杉が集まったてこは、1対ですから(6本)、

1本のてこにかかる力をざっくり500キログラムずつとしますと、

支点から作用点・力点の長さを1:5とすれば、

1本あたりの力点にかけるべき力は100キログラムとなります。


ゆっくり降ろすほどに重くなっていくわけですが、

途中で両側の石が中央で出会って互いに支え合って止まります。


1本あたり、数名の人員がいれば、

じゅうぶん巨石の三角屋根をコントロールして

組み合わせることが可能です。





後日時間があれば、図を掲載します。

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