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第42回 「アル=マームーンの穴 その7」 [大ピラミッド・盗掘坑]

私が推理した内容を述べたいと思います。

第6王朝時代に、大掛かりなピラミッドの盗掘が始まったのです。

それは、各ピラミッドを管理する葬祭団体の解散が関係しています。

各ピラミッドは、いずれも葬祭複合体として、葬祭殿や河岸神殿を有し、

神殿と同じく日常的に寄進を受け、

王家からも租税免除などの特権を与えられていました。



しかし、第6王朝に入り、王権の力が弱まるにつれ、

王家への貢納が減り、

代って地方の諸侯が管理する地方神殿への貢納が増え始めました。

そのため、過去の王たちの葬祭団体は存続が困難になり、

一部の「人気のある王」たちを除いて、解散してしまったのです。



すると、当然のように、

放置されたピラミッド複合体は、やすやすと外部の侵入を受けることとなり、

結果、当然のように盗掘の被害に遭いました。




盗掘は、組織的に行われました。

即ち、化粧石を剥ぎ、ピラミッド北側にあるはずの侵入口を探し出し、

時には石積みに穴を開け、

侵入を阻む遮蔽石を取り除き、

重い石棺の蓋を開けたのです。




石棺の中には、第一級の工芸品とも言える王の木棺が入っており、

その中には、豪華な装飾品を身につけた王のミイラが横たわっていたことでしょう。

盗掘者の目当ては、主に金細工と宝石類でした。




しかし、第6王朝の王は、

そうしたピラミッド複合体の荒廃をただ眺めていたのではありませんでした。

先王の陵墓の蹂躙に胸を痛め、

一部はその復旧を図りつつ、予防に努めようとしました。



とくに、復旧を要したのは、

最大級のピラミッドであるクフ王のピラミッド複合体です。

第6王朝の王は、大ピラミッドの盗掘口を埋め、

ヘテプヘレス王妃の副葬品を新たなシャフトに再埋葬し、

「クフ・シャフト」にクフ王を再埋葬しました。



しかし、クフ王のミイラと副葬品はほとんど持ち去られていて何も残っていなかったので、

そこには、象徴としての第6王朝に作られた石棺が置かれました。

それでも、クフ王は偉大な王として人気があり、

参拝する人もいたことでしょう。



いっぽうで、見捨てられ、修復も受けられないまま砂漠に飲み込まれていったピラミッドも、

少なからず存在したことでしょう。




大ピラミッドの蹂躙は、

第5王朝の末から第6王朝の前半までに起きました。

大まかに言えば、第5王朝はピラミッドよりも太陽神殿の建設に力点が移り、

第6王朝では諸侯の力が強力になり、

王権の弱体化が進みました。




その間に、古いピラミッドを管理する葬祭財団が経営難に陥り解消された結果、

警備体制も杜撰になり、

盗掘者集団による侵入が相次いだものと推察します。




私にはどうしても、

「アル=マームーンの侵入までの三千三百年間、

大ピラミッドへの侵入は一度たりとも無かった」

という説に納得がいかないのです。




もし、そうであれば、他のピラミッドてやマスタバが盗掘されているにも関わらず、

なぜ大ピラミッドが無傷のままであったのかを説明しなくてはなりません。

アル=マームーンの登場までの間には、

エジプトで26の王朝が交代し、

上下エジプトの統一が失われた第一中間期と第二中間期を挟み、

さらにアレクサンダー大王の支配、

プトレマイオス朝、

ローマ属州時代、

ビザンツ帝国領時代を経ているのです。



この、およそ3300年間に、

誰ひとりとして大ピラミッドの王の間に入ってみようと思わなかったということが、

私には信じられません。



たとえば、クフ王の次代の王、ジェドエフラー王は、

ギザではなく、対岸のアブ・ロアシュにピラミッドを造営しましたが、

ジェドエフラー王のピラミッドの石材ブロックは、あらかた失われてしまい、

現在はピラミッドの底辺部と大きなT字型の大きな穴が残っているだけです。

このピラミッドは、永らく「未完成」であったと考えられてきましたが、

近年、主にギリシア・ローマ時代に石材の持ち出しがあったと考えられています。




イスラム寺院にピラミッドの石材が使われている事実から、

アラブ人が古代エジプトの文化を破壊したかのような

印象を持っている人がいるかもしれませんが、

彼らは、すでに採石場と化したところから石を頂戴しただけで、

もともとピラミッドから盗んでいたのは、

ほかならぬエジプト人自身だったのです。

アル=マームーンは、

墓泥棒ではなく、学術的興味から侵入した、

という解釈は、おそらく正しいでしょう。





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第41回 「アル=マームーンの穴 その6」 [大ピラミッド・盗掘坑]

【保護勅令】

ギザのピラミッド群のその後を追っていくと、

もっとも早い王権の弱体化は、「第6王朝」を指しています。

古王国第6王朝は、5人の王によって統治されましたが、

4代目のメルエンラー王のとき、

「メンカウラー王のピラミッドを保護する勅令」が発布されました。





なぜ、保護勅令を出さなくてはならなくなったのでしょうか?




「保護されねばならないような事情があった」


からです。





そして、重要な謎が残ります。


「クフ王とカフラー王のピラミッドの保護勅令はどうだったのか」


ということです。






メルエンラー王は早世し、統治期間は10年ほどでした。

そのあとを継いだのは、メルエンラー王の異母兄弟と思われるペピ2世。

このペピ2世もまた、いくつかの地方神殿の保護勅令とともに、

「ギザのメンカウラー王のピラミッド都市長官任命の勅令」

「メンカウラー王ピラミッド都市の保護勅令」

の2つの勅令を出しています。

そのときクフ王、カフラー王のピラミッドはどうだったのでしょうか。




こんどは時代を、メルエンラー王の先代ペピ1世の時代に遡ると、

ダハシュールにあるスネフェル王(クフ王の先代で第4王朝初代の王)の

ピラミッドの保護勅令が出されています。




しかし、スネフェル王とメンカウラー王の間に挟まれた

クフ王、カフラー王のピラミッド複合体は、

保護対象にあったかどうかがわかりません。

(私が調べきれていないだけかもしれませんが)。

もしかすると、



「手遅れ」



だったのかもしれません。





保護対象であったということは、

第4王朝時代のピラミッド複合体に保護しなければならない危機が存在していたか、

或いはメンカウラー王の葬祭神殿を預かる神官団

あるいは有力諸侯に特別な保護を主張するだけの力があったか、

或いはそれら両方の事情があったことが推察されます。




つまり、荒廃している、もしくは荒廃が進む可能性があったので

保護をしなければならなかったのか、

その複合体の実質的支配者が王権の支配の及ばない有力者であったか、

というようなことが起きていたのです。




いずれにせよ、

第6王朝の終わりに、第4王朝のピラミッド複合体は


「過去のもの」

となっていたのです。

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第40回 「アル=マームーンの穴 その5」 [大ピラミッド・盗掘坑]

それは、不思議な墓です。

オシリス・シャフトと同様、参道の脇にあり、

竪坑(すなわち”シャフト”)であり、

石棺の中には何も無く、

ピラミッドのそばにありながら、離れた場所にあって、

上部構造としてのマスタバを持たない・・・。

それは、















クフ王の母、


「ヘテプヘレス1世の墓」

です。

 




ヘテプヘレス1世の墓は、

大ピラミッドの東に並ぶ3つの「王妃のピラミッド」と呼ばれるピラミッド群の

いちばん北側のピラミッドと大ピラミッド参道の間に存在します。

このシャフトは、劇的な発見をされたことで有名です。




あるとき、カメラマンが三脚を立てようとしたところ、

三脚が沈み込んだことで見つかったのです。

この墓は、不思議にも、ピラミッドから離れており、

その中には、豪華な副葬品、

たとえば獅子足つきのベッドや、

組み立て式の天蓋(テント)、

椅子、

分解された移動用の車などが未踏掘の状態で発見されました。




しかし、装飾品や木棺、ミイラは発見されませんでした。

このヘテプヘレス1世の墓の解釈として私が適切だと思うのは、

この墓が、








「再埋葬された」

とする解釈です。




この解釈は、一般的によく知られているものです。





つまり、ヘテプヘレス1世の墓は、

ダハシュールにあるスネフェル王のピラミッドのそばにあったが盗掘にあい、

ギザに再埋葬された、という解釈、

或いは、「ヘテプヘレス・シャフト」のすぐそばにある「王妃のピラミッド」こそ、

元のヘテプヘレスの埋葬場所であったとする説です。





いずれにせよ、「再埋葬」されたという見解は根強くあります。

私は、同じ出来事が、









クフ王にも起きたのではないか、




と考えるのです。





そう、





オシリス・シャフトは、もしかすると、










「クフ・シャフト」


なのではないかと。


つまり、第6王朝時代、すでにクフ王の墓は荒らされて久しかった、

と考えるのです。




3400年間誰も入らなかったと考えるザヒ・ハワスと、

第6王朝時代にはすでに荒らされて久しかったと考える私と、

正しいのは、どちらでしょうか。





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第39回 「アル=マームーンの穴 その4」 [大ピラミッド・盗掘坑]

【盗掘の時期】

大ピラミッドは、いったいいつ盗掘され、いつ内部の蹂躙起きたのでしょうか。

これから、少し話が脱線したように思われるかもしれませんが、

「いつ」

を推理するためのものです。




考える手がかりのひとつは、

周囲にあるマスタバ群です。

大ピラミッドの東側には王族の、西側には官僚である貴族のマスタバ墳が並びますが、

それらは第4から第6王朝時代のものです。

つまり、初期にギザが高貴な身分の死者の埋葬地として機能したのは、

第6王朝までのことだったと言えます。



ギザの大スフィンクスの後ろ、

カフラー王のピラミッド参道跡の脇には、

「オシリス・シャフト」の名で知られる深い穴が存在します。

これは、非常に謎めいた施設で三層構造をもち、

最深部は地下30メートル以上にもなります。



第一層には、

ピラミッド時代への回顧的ブームが起きた第26王朝時代の石棺がありますが、

最深部の石棺は、第6王朝の特徴を備えています。

この施設は、ギザのピラミッド群ができた後、

「オシリス神の象徴墓(オシレイオン)」として造営された可能性があるといいます。

それは、地下の水中に棺があることなどからして、

デンデラ(アビドスの南)にあるオシリス神の象徴墓に共通した特徴を持っているのです。

デンデラのオシレイオンを造営したのは、

セティ1世です。

セティ1世は、第19王朝のファラオですから、

もし、オシリス・シャフトがオシレイオンであったとすれば、

デンデラがギザのオシリス・シャフトを模倣した可能性もあります。




しかし、まったく違った興味深い説もあります。それは、







「クフ王の王墓説」


です。




ギリシアの歴史家ヘロドトスが、

史上初の歴史書『ヒストリアエ(歴史)』で、

クフ王に関する著述をした場面があります。

ヘロドトスは、紀元前5世紀の人間であるので、

『ヒストリアエ』は、

大ピラミッドが建造されてからおよそ2000年の歳月が流れた時点での著述、

ということになります。



その内容の信憑性には、疑わしい点が多々ありますが、

彼が実際にエジプトを訪れて見たとされる記述が残っています。



「ケオプス(クフ王のこと)のピラミッドでは、

ナイルの水が特に作られた水路を通じて内部に流れ込んで部屋の周囲をめぐっているので、

地下室はさながら孤島の如き観を呈しているが、

この中にケオプスの遺体が横たわっていると伝えられる。」
 

(ヘロドトス『歴史』第二巻127節)




この記述は、オシリス・シャフトを連想させる記述として知られています。

しかも、この記述は、クフ王について触れた箇所ではなく、

カフラー王(記述の中ではケフレン王)を中心とした記述の中にあります。




もし、ヘロドトスが見たものがオシリス・シャフトだったとしたら、

紀元前5世紀において、

カフラー王参道脇のオシリス・シャフトは、

「クフ王の墓」と認識されていたということになります。

このことを、どう解釈すればよいでしょう?





私の仮説。それは、





「オシリス・シャフトは、オシリスの象徴墓ではない」


というものです。




私が考えるオシリス・シャフトとは、



「クフ王の象徴墓」

です。



オシリス・シャフトには、

デンデラのオシレイオンより、もっと共通点のある施設が存在しています。

しかも、その場所はギザ台地の中にあります。

さらに言えば、その施設は、







「大ピラミッドの至近にある」


のです。

<続く>


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第38回 「アル=マームーンの穴 その3」 [大ピラミッド・盗掘坑]

【埋め戻された穴】

アル=マームーンは、果たして「最初の盗掘者」だったのでしょうか?

エジプト考古庁長官(当時)ザヒ・ハワスは、

日本のバラエティ番組の取材中、

アル=マームーンが侵入するまで、

大ピラミッドには誰も入ったことが無かったと発言していました。

果たしてそうでしょうか?




マームーンがもし、最初の盗掘者だったとしたら、

大ピラミッドは、もともと「空墓」であったと言えるでしょう。

マームーンは、空の石棺を発見したのですから。

そして、彼は王の間の石棺の蓋だけを持ち去ったのです

(王の間の石棺には蓋が無い)。

果たして本当にそうでしょうか?





このたびのエジプトで起きたムバラク追放、

仮に「エジプト革命」と呼びますが、

この革命後、遺跡や博物館の遺物の略奪まで、

1週間と時間を要することはなかったのです。

おそらく、最初の略奪は48時間以内に起きていたことでしょう。

昔の人々は、3400年間、

まったくそびえ立つ大ピラミッドの中に入ろうなどと

しなかったのでしょうか?






私はこう考えているます。

マームーン一行は、王の間に侵入したとき、こう思ったに違いありません。

「すでに盗掘された後であったか」

と。



しかし、

そうだとすると、

最初の盗掘者は、一体どこから入ったのだでしょう?

もっとも有り得そうなこと、可能性のあることは、






「穴は、それ以前からあった」

ということです。



つまり、アル=マームーンの穴は、

彼が最初に掘らせたものではなかったのです。

彼は、坑道を埋めていた瓦礫を取り去らせたに過ぎません。




アル=マームーンが大ピラミッドに坑道を掘らせたと言われているのは、

紀元820年頃のことです。

いっぽう、クフ王の治世は紀元前26世紀。

大ピラミッドが完成したのがクフ王の死後であったとしても、

アル=マームーンの侵入までにおよそ3400年の月日が流れています。

この間、誰も大ピラミッド内に侵入しなかったとは考え難い、

私はそう思います。





ピラミッドの荒廃は、

しばしばアラブ人の化粧石の剥奪によるモスク建設などと関連づけられますが、

剥奪そのものはギリシア・ローマ時代には起きていたとされていますし、

実際はもっと古く、

古代エジプト人たちもまた、ピラミッドの蹂躙に関わっていました。




アラブ人がピラミッドの石を盗んだように思われていますが、

アラブ人は荒廃しきっていて、

数千年もの間、採石場と化していた場所から、

めぼしい石を持ってきただけなのです。

そもそも、ピラミッドの石を最初に盗んだのは、

古代エジプト人だったのです。




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第37回 「アル=マームーンの穴 その2」 [大ピラミッド・盗掘坑]

下降通路から栓石の場所を確かめることさえできれば、

無駄なく水平通路を掘り進めることは、さほど難しくありません。

まず、下降通路の入口(つまり正規の入口)の高さと角度、

入口から栓石までの距離を計測します。

次いで、上昇通路の角度を予測します。




その角度は、

おそらく下降通路の角度とさほど違いがないと推測されました。

唯一、予測がつかなかったことは、栓石の長さです。

栓石の長さが、信じられないほどの長さである可能性もありましたが、

それよりも注意すべきは、下降通路に近いところに穴を掘ってしまい、

周辺の壁の強度を下げ、最悪、栓石を落としてしまうことです。




正規の入口の高さは、およそ17メートル。

傾斜の角度は約26度。

入口から栓石で塞がれた上昇通路の入口までの距離は、

(単純化して)28メートル。

すると、栓石のある場所は、正規の入口の直下12.5メートル、

直線距離で25メートルの場所にあることになります。

栓石のある場所に出るのであれば、

地上4,5メートルの場所から水平に掘れば良いことになります。





しかし、内部に侵入するには、栓石のある場所ではなく、

「栓石の終わる場所」に出なくてはなりません。

つまり、もっと高い場所から水平に掘り進めなくてはならないのです。

地上5、6メートルでは低すぎ、

もっと高い場所を水平に掘り進めなくてはならないことになります。

その結果、盗掘口の入口の高さ(地上およそ8メートル)が導き出されたのです。





しかも、通路の脇に出るように、本来の通路の真下ではなく、

わずかにずれた場所から、掘り進めたのです。





アル=マームーンの穴は、

建設者たちが新しい通路として造ったわけでもなければ、

建設に携わった人間が裏切って盗掘坑を掘ったわけでもなく、

数学を使って(それも簡単な)導いた予測に基づいて掘り進められ、

計算どおりに接続できたものだと私は考えます。




古代エジプト人の、

当時としては高度な数学に基づいた設計が、

かえって後世の盗掘者が謎を解くのに一役買ったのです。

もし、上昇通路や下降通路がいびつな設計であれば、

もしかすると、大きな誤差が生じていたのかもしれません。




私がアル=マームーンの穴に関して、

指摘したいことが、もうひとつだけあります。





それは、





「『アル=マームーンの穴』を最初に開けさせたのは、















アル=マームーンではない」




ということです。

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第36回 「アル=・マームーンの穴 その1」 [大ピラミッド・盗掘坑]

上昇通路の下部、つまり下降通路との接続口は、

花崗岩でできた三個の栓石ブロック(プラグ・ストーンズ)によって塞がれています。

これは、おそらく大ピラミッドが完成してから今までのおよそ4500年間、

ずっとこの位置にあり続けているものです。

今日、この栓石ブロックを迂回して大ピラミッドの内部に入ることができるのは、

アラブの太守、アル=マームーンが掘らせたと言われている坑道

「アル=マームーンの穴」が存在するからです。





「アル=マームーンの穴」の入口は、

正規の入口よりも下、地上十メートルに位置します。

しかもその位置は、

正規の入口に対して僅かに右寄り(つまり西寄り)です。

現在、観光客が大回廊や王の間に入っていくために使っている通路こそ、

この坑道なのです。





入口から入ると、坑道はほぼ水平に続いています。

この坑道は、予め通路として造られたものではなく、

すでに積み上がった石灰岩ブロックを掘り進めたものであり、

そのため、内部はいびつです。

そしてこの坑道は、見事に上昇通路を塞ぐ栓石を回避した場所に接続します。

上昇通路の右側面(つまり西側面)に接続されているのです。

現在は、3メートルほどの階段を上り、

上昇通路の内部へと入っていくのですが、

そのとき、左手(つまり北側)に、四角い栓石の一部を見ることができます。





あまりにも的確な坑道の掘り方から、

この穴がピラミッド建設中からあったと考える人もいます。

たしかに、このような水平な坑道が存在していれば、

女王の間や王の間を建設した作業者たちは、

わざわざ正規の入口まで上って、さらに下降通路を下り、

また上昇通路を上るというアップダウンを繰り返さなくともよかったはずです。

では、彼ら大ピラミッドの建設者たちは、

上昇通路の入口を変更するために、

わざわざ下降通路からのアクセスを栓石で封じたでしょうか?





それは、どうもありそうにありません。

上昇通路の入口は、

ひとつ4トンと言われる栓石を三個使って厳重に閉じられている様子かららして、

王の玄室への侵入防止が企図されていると思われます。

では、上昇通路をそれだけ厳重に封じた建設者たちが、

なぜ、水平坑道は花崗岩ブロックで塞がなかったのでしょうか?

「アル=マームーンの穴」は、花崗岩ブロックで塞がれていません。

やはり、この穴は、後世の人間が掘らせた穴なのです。


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