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第52回 「太陽の船だと思われているもの その5」 [大ピラミッド・奉納船]

【ボートピットとは何なのか】

ピラミッドに付属するボートピットとは、つまるところ、何であったのでしょうか?



まず、ボートピットの位置に着目すると、

それは、葬祭神殿に近い場所に位置することがわかります。

何らかの儀式に使われたと見る向きもありますが、

私は単純に、葬祭神殿に入りきらないので、

そのそばに船を納めるために掘られたものと考えています。





では、誰が、船を奉納したのでしょうか?

それは、有力なノモス(州)です。

おそらくは、北エジプトの。

古代エジプトにおけるファラオの最大の役割は、上下エジプト統一の維持です。

ファラオは、軍事的に統一国家を維持するために各ノモスの忠誠を試し、

財を消費させることを狙ったのかもしれません。

これは、日本において江戸幕府が、徳川家康の死後、

各大名に命じて、東照宮を造営させたことなどに似ています。




有力なノモスと推定する理由は、

ジェドエフラー王が、わざわざ丁重に分解して地下に隠したことでよくわかります。

葬祭神殿に納まらないほどの大きな船を奉納したのは、

もしかすると、上エジプト(ナイル上流域。ギザから見て南方)の

ノモスの長であったかもしれません。

なぜなら、これは吉村作治先生も指摘していますが、

クフ王の第一の船は帆やマストがなく、ナイルを下るのに適した船だからです。

クフ王やジェドエフラー自身も、上エジプト出身でした。
 



ボートピットは、ノモスの長から贈られた船の奉納のために設けられたものであり、

現代の価値に換算して、数千万ドルの価値があったことでしょう。



ボートピットが、葬祭船の奉納跡であるという説もありますが、

となれば、船が何艘もあったりするのは解せません。

船団として考えた場合も、解せないことがあります。

クフ王の場合、2艘の船が、等価に扱われているのです。

王の遺骸を乗せて運んだ船と随行した船が、

同じように並列に奉納されてというのは、考えづらいと思いませんか?





私は、奉納船は、太陽船でも葬祭船でもなかった、という考えです。


奉納船は、彫像(スタテュー)と同様、ノモスからの献上品だった、

と考えます。

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第51回 「太陽の船だと思われているもの その4」 [大ピラミッド・奉納船]

【盗まれた船】

もういちど、思い出してください。

大ピラミッド東麓には、付属ピラミッドのボートピットを除くと、3つのボートピットがあります。

私が、注目するのは、参道の脇の北側にあるボートピットです。

ここに奉納されていた船が盗まれたことで、

2艘の船を守るため、東麓に船を移して地下に納めたと私は考えています。



前にも説明したように、

木造船は、ロープで接着されていました。

したがって、ロープを切れば、木材が手に入るのです。

当時のレバノン杉は、背の低い灌木ばかりのエジプトでは、

大変貴重なものでした。

それが野外に堂々とあったわけですから、

夜中に忍び込んでは、せっせとロープを切って、

木材を盗んでいた輩がチームで動いていたのでしょう。



東麓の2艘と参道脇の船とは、大きさも格も違っていたはずです。

まず、奉納の順序からして、おそらく葬祭神殿両脇の2隻が先で、

その威容を妨げないよう、視界の邪魔にならない位置として参道脇に奉納されています。

このボートピットだけ西側に階段がついているのは、

それだけ深く埋められたということでしょう。

この船が、盗まれててしまったのです。

今の私たちが考える船を盗むとなると、相当に大がかりですが、

ロープで接着されていた当時の船ならではの背景があって、盗難にあったのです。




東麓の2艘を、南麓に移したのは、

クフ王の息子、ジェドエフラーであったことでしょう。

南麓のボートピットには蓋石があり、

第一の船の蓋石の裏からジェエフラーの名前が出てきました。

つまり、2艘の東麓の船が南麓に移されたのは、

クフ王が崩御して間もない頃であったと思われます。

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第50回 「『太陽の船』と思われているもの その3」 [大ピラミッド・奉納船]

【奇妙なボートピット】

南麓のボートピット。

そう呼ばれる岩盤の細長い穴。

じつは、この穴、

ピラミッドに付属するボートピットとしては、不自然な点があります。



第一点は、その「形」です。

ボートピットは、その名のとおり、船の形をしているのが普通なのです。

ボートピットの多くは、

いかにも、そこに船が納められていたかのような形をしている、

前後がすぼまり、中央がグラマラスな形です。



ところが、南麓のボートピットは、細長い四角、なのです。




第二点は、「蓋」です。

通常、ピラミッドに付属するボートピットには蓋がありません。

ところが、南麓のボートピットは、

石灰岩の蓋石で塞がれた上、しっくいでシールしています。

第一点の形とも関係しますが、

南麓のボートピットは、船を密閉しようとしたために、

細長く四角い形になったのです。

しかも、ボートピットそのものが地中に埋められ、

隠されていたのです。

蓋石が渡せるだけの幅に抑えるために、南麓のボートピットは直方体になったのです。




第三点は、「長さ」です。

ボートピットの長さ30.8メートルに対し、

納められていた船は40メートル以上あります。

解体して納めるのですから、短くても構わないと言えばその通りですが、

一般的なピラミッド付属のボートピットの場合、

そもそも解体した形跡がないので、フルサイズ大きさの船に合せて建造されるのです。
 




おかしい。


どうしても、違和感がぬぐえないのです。







その理由は、

何の違和感も感じずに、クフ王の船のボートピットとしてふさわしい場所が、



「すぐ近くにあるから」

なのです。

それは、










「東麓の2つのボートピット」


です。

greatpyramidinside.jpg

↑ 手前が東側

http://www.ancient-egypt.org/index.html



東麓のボートピットは、まさにボートピットそのものの形状であり、

一般的なボートピット同様に蓋石もありません。

砂に埋もれていただけです。

それぞれの長さは、およそ52メートルあり、

40メートルを超えるクフ王の船を、そのまま収納できたでしょう。




わたしは、こう考えました。

南麓の奇妙なボートピットは、



















もともと東麓にあった船を移して納めたものだった

と。


まず、クフ王の次のジェドエフラー王、その次のカフラー王とも、

ピラミッドに付属するボートピットはいずれも、葬祭神殿のある東側に位置しています。

クフ東麓、ジェドエフラー、カフラーとも、全てのボートピットは、船底型をしており、

地中に分解して埋められたクフ南麓のボートピットは、

当初からの設計としては、異例です。

つまり、クフ王東麓のボートピットは南麓に先んじて造られ、

且つ、おそらく確実に船が納められていたはずです。





もし、東麓に大きな木造船が奉納されていたとしたら、

南側2艘だけ蓋石をして丁重に船を奉納するなど、

船の扱いに、



差をつけすぎ


です。




南麓の船だけは、特別だったのでしょうか?

では、そのように特別な船が、なぜ、重要な葬祭神殿のある東側にないのでしょう?





異例な南麓のボートピットは、なぜ、かくも丁重なのでしょうか?



そう考えると、東麓の二艘が、東麓に移され、

分解されて地下に納められた、と考えるのが、納得しやすいのです。

では、なぜ、そんなことが、行われたのでしょうか?



私の答えは、決まっています。


それは、





「木材の盗難」


です。

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第49回 「『太陽の船』と思われているもの その2」 [大ピラミッド・奉納船]

【第二の船】

クフ王の船には、2艘目がありました。

このたび、(株)ニトリの似鳥社長の出資によって発掘された船です。

最初に見つかった第一の船が発見されたボートピットは、

大ピラミッド南麓の中央から東寄りの場所にありました。

しかし、それだけでなく、中央を挟んで西寄りにも、

第一の船のボートピットと似た石蓋が見つかっており、

第二の船の存在が有力視されていたのです。

というか、確実に存在することが知られていました。



1987年、吉村作治率いる早稲田大学エジプト学研究所が、

電磁波レーダーで、地下に木材反応を確認しました。

最初に非破壊で木材反応を確認したことは、

同年10月にアメリカのナショナル・ジオグラフィック協会とエジプト考古学協会の合同調査団が

蓋石に穴を穿つ上で、大きな根拠となったはずです。

第二の船の発見者が誰であるかは曖昧な部分もありますが、

非破壊で明確な木材反応を確認したという点では、

早稲田隊の貢献は、認められて然るべきでしょう。



アメリカのナショナル・ジオグラフィック協会とエジプト考古学協会の合同調査団は、

第二のボートピットの蓋石に小さな穴を開け、

ファイバースコープを挿入して、内部の撮影に成功し、

内部に解体された状態の木片が納められていることを視認しました。

そして、1993年1月には、

早稲田大学エジプト学研究所が、アメリカ隊が開けた穴の封を開け、

外気を遮断するエアロックシステムを作動させつつ、

小さな針を両側につけたマジックアームを侵入させ、

僅かな木片を採取することに成功しました。

木片の年代は、4500年ほど前のものであることが判明し、

第一の船同様、古代エジプト人が第二の船を納めたことが分かったのです。




じつは、この

「第二の船があったこと」

そのものが、

クフ王の船の謎を解くのです。





南麓に、船は


「二艘なくてはならなかった」


からです。

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第48回 「『太陽の船』と思われているもの その1」 [大ピラミッド・奉納船]

【クフ王の船は、太陽船ではない】

1954年4月22日、

大ピラミッド南麓の細長い穴から、バラバラに解体された古代の木造船が発見されました。

発見したのは、エジプト人考古学者カマール=アル=マハーラ。

ピラミッド脇の土砂を除去する作業中、

偶然に41枚の大きな石灰岩の蓋石で塞がれた

長さおよ30メートルの穴が発見されたのです。

穴は細長く四角い形に石灰岩の岩盤を掘り抜いたもので、

蓋石の隙間は、しっくいで埋められていました。




内部にあった木片は、木造船の部材であり、材質はレバノン杉でした。

エジプトには背の低い潅木が多く、大木が育ちません。

乾燥した気候のせいです。

そのため、良質の木材は、シリアやレバノンなど近隣諸国から持ち込まねばならず、

大変貴重なものでした。

たとえば、ピラミッドを覆った良質の白色石灰岩よりも、

木材の方が価値が高かったと言えるでしょう。



船は、ボルト・ナットや接着剤など、現在のような材質の接続方法がなかったため、

レバノン杉の板をロープで接続して造られていました。

穴の中からは、大量のロープ屑も見つかっており、

組み立て前の船を奉納したのではなく、

完成していた船のロープを外してから埋められたものと考えられます。



クフ王の船は、1224の部分と650の部材に分解されており、

パーツには、目印がつけられていました。

ハグ=アハメド=ユーセフ=ムスタファは、

その執念によって14年の歳月をかけて船を再現することに成功し、

その結果、船の大きさが全長43.3メートル×幅5.35メートル×高さ7.9メートルと、

堂々たる大きさの船であったことがわかりました

(もし、彼の再現にいくらかの間違いがあったとしても、

船の大きさが極端に小さくなることは、ありえないでしょう)。



再現された船は、保存と展示の目的のために、

空調コントロールの効いた建物で覆われることとなり、

大ピラミッド南側の東寄りに博物館が建設(1982年)されました。

現在では、新たな観光名所のひとつとなっています。



このクフ王の船は、一説によれば、太陽神ラーの船、

すなわち『太陽船』とされています(エマリー、セリム=ハッサン、吉村作治ら)。




太陽神ラーは、昼の船と夜の船の2艘の船で天空を航行しすると考えられており、

クフ王の船こそ、死後ファラオが太陽神の共として天空を航行する際に用いられる太陽船である、

というわけです。

しかし、わたしは、この船を太陽船と考えない人たちと同意見です。



アブ=バクルは、この船が、

祝祭時にエジプトの聖地にファラオを運ぶために用いられたものだとしています。

しかし、ザヒ=ハワスは、穴の周囲におが屑の痕跡があったことから、

この船は、穴の周辺で造られたもので、

水に浮かべられたことは一度もない、としています。

(以上は、ミロスラフ=ヴェルナー著『ピラミッド大全』による)

また、この船を、クフ王の遺体が運ばれた葬祭船であるという説も根強くあります。

しかし、私はこれらの説いずれとも異なる考えを持っています。



ピラミッドに付属する『ボートピット(船坑)』と呼ばれる穴からは、

めったに船が出土しませんが、

他に例がないわけではありません。

サッカラの南にある第6王朝のファラオ、

ペピ2世のピラミッド複合体からも木造船が発掘されています。

ペピ2世のピラミッドに付属するネイト王妃(メルエンラー王の姉妹で、ペピ二世の王妃)

のものと言われている付属ピラミッドからは、

16艘もの木造模型船と、ボートピットが見つかっています。

発見者は、ジェキエです。

これらは、王妃専用の葬送船隊だとも言われています

(以上は、マーク=レイナー著『ピラミッド大百科』による)。




これにより、次のことが考えられます。

まず、

「船は、昼の船・夜の船といった2艘の組み合わせと決まっていたわけではなく、複数埋葬されたということ」

16艘もの船が、全て太陽船とは思えないし、

特別な太陽船が他の船と混在していたとも思えません。

クフ王の大ピラミッド周辺からも、

付属ピラミッド含めて7艘分のボートピットが見つかっています。

クフ王の船は大型ではありますが、

太陽船ではないと考えるほうが、合理的だと思います。

わたしは、クフ王の船が太陽船ではないという考えを支持します。



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RKB  『吉村作治 太陽の船復活 徹底解明!ピラミッドの謎』 [大ピラミッド・奉納船]

今日(8月7日)TBS系列で16時より、

『吉村作治 太陽の船復活 徹底解明!ピラミッドの謎』

という番組が放送されます。

http://www.rkb.ne.jp/egypt/



内容を見たうえで、更新したいと思います。



これから私も、大ピラミッドのボート・ピットについて、

仮説を提示したいと思います。





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